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この成功はM氏に大きな自信を与えた。 続いて、1963年4月には第2回のADRが発行され300万株がこれまた1時間で売り切れになっている。
クロマトロンの損失やトリニトロンの開発資金が必要なこの次期にSビルの建設を強行できたのは、あてがあったからである。 アメリカでは、トランジスタラジオを通じてSのブランドは相当知られるようになった。

しかし、その直後の7月、当時のK大統領は国外への資金流出に歯止めをかけるため金利平衡税(国外投資に一律1.5パーセントを課税)を打ち出した。 これを機に一気に世界は資金不足のパニックに陥った。
日本も大きな影響を受け、Sの株価も一気に半値以下になっている。 これでは直接金融に頼る企業はひとたまりもない。
翌1966年には保土ケ谷研究所で土砂崩れがおこり計算外の復旧費用も生じた。 このようなとき、従来からある日本企業なら、メィンバンクから緊急避難用の融資をあおぐこともできたであろう。
Sは完全に行き詰った。 このときM氏がとった起死回生策は自社株を買ってくれるスポンサーの目星をつけ、直接談判することだった。
金利平衡税を払ってでもSの株価は今後急騰することを信じ込ませねばならない。 ターゲットはIBMだった。

Sはテープレコーダーの開発段階で自前の磁気テープ技術を開発していたが、これにIBMが注目しコンピュータのストレージメディアとして採用していたのである。 相手も技術の会社なら、Sの開発スピリッツが理解できるかもしれないという情が違った。
Sの労働組合は、東京通信工業時代に結成された社員の親睦団体、通友会が前身である。 親睦団体が組合の基礎となるケースは日本企業に多い。
和を築くことを重視する文化の投影であろう。 SもI氏が創業した時代には、そのような性格を色濃く持っていた。
業容が拡大を見せ始めた1956年、S労働組合は結成され、上部団体である電機労連にも加盟している。 急成長会社では、従業員数も急激に膨張する。
当初、500名足らずだった組合員は、5年後の1961年には3700名以上になった。 製造業の特徴は、業容が拡大していく過程で、他部門以上に工場従業員の数が増える点にある。
Sもトランジスタラジオの増産のため厚木工場を新設した非製造業的体質Sは「技術力」を評価され、日本を代表する製造業の企業となっていった。 工場での作業効率や品質の改善などは、従業員の勤勉性や企業への忠誠心が基礎となる。

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